至誠塾 本質からものを見る思考方法の一例 2026.07.09
賦課方式・収支相等原則・基本権支分権:3つの視点(基本的視点)に基づく論文
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Q.A子さんは老齢厚生年金(以後、老厚年という)と老齢基礎年金双方の支絡繰下げをして70歳から受け取る積りです。しかし、現在癌に罹患し闘病中の夫が今死亡した場合と数年後に死亡した場合では異なる扱いになる旨聞きました。詳しく教えてください。
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A.繰下げ待機中に、遺族厚生年金(以下「遺族厚年」という)の受給権が発生した場合の取り扱いについて、年金制度の改正が行われ死亡時期により異なる扱いになります。
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1,現行法(現在、夫が死亡した場合)の取り扱い
現行法の下では、夫が亡くなりA子さんに遺族厚年の受給権が発生した時点で、老厚年の繰下げはできなくなります。繰下げによる増額が認められるのは「遺族厚年の受給権を取得した月」までであり、それ以降の繰下げ待機はできません(厚年法44条の3第1項但書)。 年金が支給される際、老厚年が全額支給され、遺族厚年の額が老厚年の額を上回る場合に限り、その差額が遺族厚年として支給されます。
なぜ、老厚年の繰下げができなくなるのでしょうか。それには、繰下げを禁ずる同条項の「他の年金」という規定の検討を要します。「他の年金」とは、老厚年との併給が制限される障害厚年や遺族厚年などを指します(※併給調整の対象とならない老齢基礎年金・付加年金、障害基礎年金の受給者は、老厚年の繰下げが可能)。 この併給制限は、「二重の生活保障を回避し、過剰給付を抑制する」という視点に基づくものです。老齢・障害・遺族の各年金は、それぞれ異なる支給事由に基づいて生活保障を行っているため、併給は二重保障となります。仮にA子さんに老齢年金の繰下げ待機を認めながら遺族年金の受給も認めてしまうと、実質的にこの併給制限を潜脱することになってしまうためです。
2,改正法(令和10年4月以降に夫が死亡した場合)の取り扱い
では、では、治療の甲斐あって延命し、令和10年4月以降に死亡した場合はどうでしょうか。この時点からは改正法が適用されます。 改正法では、「遺族厚年などの受給権者が、その年金を請求していなければ、老齢年金の繰下げが可能」となります。
この改正は、受給者の「期待権」を保護する趣旨で行われました。例えば、A子さんの受け取れる遺族年金が年額数千円など些少である場合、現行法ではその僅かな権利が発生しただけで、将来の年金増額による老後リスク低減という期待権を奪われてしまいます。そこで、併給制限による過剰給付の抑制よりも、繰下げによる可処分所得の増加(生活保障)を優先するよう、立法政策の変更がなされたのです。 但し、「遺族厚年が未請求であること」が要件となります。未請求の状態であれば、年金を受け取る権利(支分権)は観念的な存在に過ぎず、現実的な二重保障の問題は顕在化しないからです。
3,基本権と支分権から見た本改正の意義
本件は、年金の「基本権」と「支分権」の概念を駆使することで、より明確な理解に到達します。 繰下げとは、老齢年金の「基本権」があることを前提に、毎月の支払いを受ける権利である「支分権」の行使(請求)を自らの意思で保留し、年金額増を図る制度です。現行法が遺族厚年発生後に繰下げを認めないのは、老齢と遺族という2つの基本権を同時に認めることになり、それが二重の生活保障(究極的には過剰給付となり収支相等の原則に反する)になると捉えているためです。
とはいえ、低額な遺族年金が発生しただけで繰下げの機会を一律に奪うことは、受給者の年金増額の期待権を侵害することになります。現実の年金ライフにおいては、可処分所得が1円でも多い方が安心感を生みます。繰下げの相談においては「何歳まで生きれば得か」という損益分岐点論が主流ですが、この「安心感」の視点も非常に重要です。今回の改正は、まさにこの繰下げ制度による年金額増の期待権保護を図るものと言えます。
伊東勝己